第2回目は、「日立市」についてです。
内容については諸説あったりするので、参考までに見て頂ければ幸いです。
明治時代に宮田村と滑川村が合併し「日立村」が誕生しました。
その後、1939年に日立町と助川町が合併し「日立市」へ。
2004年には日立市と十王町が合併し、現在の広域な日立市となりました。
日立市の学校給食は、戦後混乱期のこども達の栄養状態を改善する為、県内でも先駆的に始まったようです。
1947年、戦後の食糧難の中、連合軍(LARA物資)による軍用缶詰や脱脂粉乳などの物資を活用し、茨城県内(水戸・土浦・日立)の21校で給食が再開されました。
LARA物資とは、アジア救援公認団体の意味で、昭和21年から昭和27年まで提供していた、食糧その他の生活必需品などの救援物資です。
第二次世界大戦で困窮したアジア、特に日本・朝鮮の人々を救うことを目的に、アメリカに住む日系人の働きかけによって、アメリカの各種宗教団体を中心に結成されました。


その後、1967年に北部学校給食共同調理場、1968年南部学校給食共同調理場が完成しました。
南北に広い地形を考慮し、2拠点による給食提供を実現しています。
また、1976年には中央学校給食共同調理場が完成し、3拠点での運用になっています。
1971年には全国的に、脱脂粉乳から牛乳への切替も実施されました。
2019年には、老朽化に伴い、宮田調理場と十王調理場を統合した「新・北部学校給食共同調理場」が竣工しました。
この施設は、食物アレルギー対応の専用調理室を県内で初めて設置するなど、最新の衛生管理(ドライシステム)を導入しています。
